ギョクオン ホウソウ
1945年 昭和20年 8月15日 正午。
当時、尋常小学校高等科だった父は、今は亡き祖父から家族揃ってラジオ放送を聴くように言われたそうです。
昭和天皇が、終戦を国民に知らせる 「玉音放送」 。
オイラ自身、その放送 (部分的に) は、終戦番組の中でしか聴いたコトがありません。
内容と言っても、あの有名な
「絶え難きを堪え 忍び難きを忍び」
の部分しか知りません・・・。
あの日、父たちはどんな気持ちで、放送を聴いていたのでしょうか・・・。
この時期になると、時々父親とも、終戦の話しをしますが、 「玉音放送」 のコトは、ラジオの音声が不鮮明で、何をしゃべっているのかよく判らなかった・・・、なんて言ってますが。(^_^;)
高度経済成長期を経て、機械工業の輸出産業、バブル経済の崩壊・・・。
東京オリンピック、大阪万博・・・、長野冬季オリンピック、愛知万博・・・・・。
敗戦の瓦礫から積み上げられてきたこの社会に、いま自分たちは暮らしています。
しかし、いまでも、戦争で負った傷に
「堪え難きに堪え 忍び難きに忍び」 ながら生きている人がいます。
先日、テレビで、、漫画家水木しげるさんの自伝的戦争体験記のドラマが放送されていました。
水木さんは、兵役で南方へ。
戦地で左手を失いながらも復員。漫画家になり、妖怪マンガ 「ゲゲゲの鬼太郎」 を大ヒットさせました。
水木さんと共に戦争に行き、戦死していった仲間たち。
そして生き残った水木さん・・・。
『玉砕なんてくだらない!』
「鬼太郎」 に登場するキャラクター、 「ねずみ男」 のそんなセリフに、戦争に対する、様々な思いが込められていたように思いました・・・。
戦後 62年・・・。
「62年前に戦争があった」 と言う過去形の表現になってしまうコトは否めませんが、
「戦争があった事実」 を受け継ぎ、また次代に繋いでいくコトが、今を暮らしている自分たちの、ひとつの役割でもあるのだろう、と思います・・・。
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