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ホウジョウ ヒストリー

先の大河ドラマの記事にて、
北条氏は1333年に滅びたのでは?
それよりのちの1546年の 「河越夜戦」 の時に何故、北条氏がいるのか?? と言うご質問を受けましたが・・・。
実は 「北条氏」 については、オイラもあやふやな点があり、少し調べてみましたトコロ。

出てきた答えは、違う時代にそれぞれの 「北条氏」 が存在した、と言うコトでした。
まず、1333年に滅亡した 「北条氏」 は、 「執権北条氏」 と呼ばれる鎌倉時代にあった 「北条氏」。
「執権」 、と言うのは鎌倉幕府の職名で将軍を補佐して政務を統轄する役目を持っていたようです。
初代執権は、鎌倉幕府初代将軍の 「源頼朝」 の義理の父親、北条時政。
そののち、約130年、16代に渡って続きますが、繰り返し書いていますように、(^_^;) 1333年に鎌倉幕府の衰退と共に滅びます。
「執権北条氏」 での有名人は、8代目執権の 「北条時宗」 。
少し前に何かとお騒がせだった狂言師、和泉元彌の主演で大河ドラマになっています。
「元寇」・・・モンゴルが攻めてきたのが有名でしたね。

さて、話しを戻せば・・・。
「執権北条氏」 が滅びて約150年ののち、1480年代に 「伊勢新九郎盛時=早雲」 と言う人物が世に現れます。(早雲は号です。)
伊勢新九郎=早雲は、備中 ( いまの岡山県井原市辺り ) の出身と言われ、関東に進出したのちに駿河の国から次々と周りの国を攻め滅ぼし、相模の国を征服して戦国大名の先駆けとなりました。
息子、氏綱の時代に 「北条氏」 を名乗り伊勢新九郎=早雲ものちに 「北条早雲」 と呼ばれるようになります。

ちなみに伊勢新九郎盛時=早雲が 「北条氏」 を名乗ったワケは、先の 「執権北条氏」 にあやかってのコトらしいです。
歴史上では 「執権北条氏」 と区別するために、早雲が起こした北条氏のコトを 「後北条氏」 と呼んでいます。

先日の大河ドラマ 「風林火山」 で上杉憲政、8万の大軍に対して8千の兵力で大勝した北条氏康は、初代早雲の孫です。
難攻不落の小田原城にて、長くその勢力を保ちますが、早雲から数えて4代目の氏政、そして5代目氏直の時代には、約20万の大軍を持って豊臣秀吉に攻め込まれ、 「後北条氏」 5代の栄華も約100年で、潰えてしまうのです・・・。

歴史の歯車を響かせた・・・、ホウジョウ ヒストリー・・・。

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大河ドラマ07 「風林火山」」カテゴリの記事

コメント

なるほど…。
穀物。さん、ありがとうございました。

「あやかって」ということは、
元の北条は、先祖でも何でもないということですね。
私があやかって、徳川を名乗っちゃう…みたいなものかな?
(何にあやかるんだろう?)

すみません。一大スペクタクルにさせてしまいましたね。
ちょっと質問しただけのつもりだったんですけど。(^_^;)

投稿: たがこし | 2007年6月16日 (土) 21時47分

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